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大人からはじめる二胡教室-陳臻中国胡弓音楽院

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講師紹介

チェン・ゼン(中国読) チン・シン(日本読)

陳臻中国胡弓音楽院 学院長 陳臻(チェンゼン)のご紹介。
豊富な経験をもとに、楽しみながら学んでいただけるようご指導しています。

私が中国にいた当初、二胡は伝統音楽しか演奏することができませんでした。
あれから二十数年 ・・・ 今では民族楽器であるとともにその枠を超えてポピュラー、クラシック、ジャズとあらゆる音楽を表現できる楽器になりました。

二胡は「人間の声に最も近い楽器」と評され、切なさ、優しさ、激しさなど、色々な表現ができます。
不思議なもので、これまで歩んできた人生そのものが音に表れるのです。
演奏レベルに関係なく、一人ひとりが自分なりの音、表現を目指して演奏すれば、聴く人にも必ず伝わるものです。
生徒さん一人ひとりが自分にしかできない演奏ができるよう、サポートしていきたいと思っています。

ツェン・ゼン(中国読) チン・シン(日本読)
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◆1963年 福建省生まれ。
7歳より胡弓を始め、12歳で福建省テレビに出演。

◆1976年 福建省芸術学校に入学。
恩師・唐 永華氏のもとで5年間学ぶ。

◆1981年、唐氏との板胡二重奏で最優秀賞を受賞。
卒業後芳華劇団に在籍し、3年間の演奏活動を経て、中学・高校の音楽教師となる。

◆1985年 北京師範大学で再び音楽教育を学びながら、胡弓の大家である劉 明源氏のもとで研鑽を積む。

◆1986年 全中国演奏者コンクール胡弓の部で第1位受賞。

◆1988年 福建省楽器コンクール板胡二重奏で第3位、同時に作曲部門で第2位受賞。

◆1990年 来日。日本各地で演奏活動を行う。

◆1994年 テレビ朝日ニュースステーションにピアニストの羽田健太朗氏と出演。

◆1995年 ファーストCD「陳臻中国胡弓の世界」リリース。

◆1996年 神奈川テレビ、テレビ東京等に出演。

◆1997年 フジテレビ「目覚ましテレビ」に出演

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現在、演奏活動と共に後進の指導にも力を注いでいる

 


左前にいるのが私です
いたずら好きの活発な
子供だったようです

二胡との出会い

私は1963年に中国 福建省内陸部の三明市で生まれ、4人兄弟の末っ子として育ちました。
父は音楽が趣味でよく二胡を弾いていました。そんな父の影響で私も二胡を弾き始めました。
最初は遊びのつもりで始めたのですが、父は私に音楽の才能があると気付いたようです。
直ぐにプロの演奏団の先生に習わせてくれました。

それから練習の日々が始まったのですが、実は私は練習するのが大嫌いでした。
目立つのが好きで舞台に立てればよかったんです。

でもそんな訳にはいかず、毎日2時間の練習が義務付けられるようになりました。
その頃は練習が嫌でよく練習をサボって卓球やサッカーをしに行き、その度に父に怒られました。
13歳の時
民族楽団のソリストとして
テレビ放送された時です

13歳の時芸術学校に入る

私が親元を離れたのは13歳の時です。
民族楽団のソリストとして演奏したのがテレビで放送されたことがきっかけで推薦を受け、福建省芸術学校に入学しました。

入学できたのは推薦を受けた12名のみ、全員学費免除、生活費も全てサポートを受ける完全な英才教育でした。
その代わり試験に落ちたら即退学させられるという厳しいものでした。

私はそこで5年間を過ごし、無事卒業することができました。
芸術学校の仲間と
真ん中にいるのが私です

演奏家への道に進む

福建省芸術学校を卒業後、18歳でプロの演奏家の道に進みました。

芳華劇団に入り、演奏活動を始めました。
音楽教師時代
この頃は痩せていますね・・・

子供達に音楽を教える楽しさを知る

民族楽団に入り中国全土を回って演奏活動をするのはとても充実した日々ではありましたが、3年ほどたったころ、何か空虚感を感じることがありました。

その時「子供達に音楽を教えたい」と強く思うようになりました。

直ぐに教員免許を取得して、中学・高校の音楽教師になりました。21歳の時です。

北京師範大学で教育学について学ぶ

音楽教育について専門的に学びたいと思い、22歳の時北京師範大学で教育心理学・音楽教育・指揮法について学びました。
その頃、板胡の大家である劉明源先生に師事することができ、多くのことを学びました。

その後に行われた全中国演奏者コンクールでは、胡弓の部で1位を受賞することができました。
日本に来て間もない頃
日本の食べ物がよほど
合っていたのでしょうか!?
だんだん太ってきました

もっと広い世界を知るため日本を訪れる

私が日本に来たのは1990年、27歳の時でした。
もっと広い世界を見たいと思ったのがきっかけです。

日本に来てまず驚いたのは自由に音楽が聴けること、自由に音楽が演奏できること、自由に発言できることです。
その頃の中国はとても閉鎖的で好きな音楽を聴くこともできませんでしたし、民族楽器は民族音楽しか演奏できませんでした。

私は自由な日本の文化に触れ、日本が大好きになりました。
実際日本に来てから中国に帰ることは殆どなかったんです。

日本で演奏活動を始める

初めは大変でした。
日本では「二胡」という名前は全く知られていなかったので、演奏の仕事は殆ど無く、もちろん言葉も分からないので、語学学校に通いながら皿洗いやマクドナルドで早朝のアルバイトなどをして何とか生活しました。

その後少しずつ日本でも二胡が知られるようになり演奏の仕事も増えてゆき、同時に二胡の指導を始めました。
今では沢山の生徒さんが、わざわざ遠方からも二胡を学ぶために通って来てくださっています。

そして念願だった、中国での文化交流演奏会も実現することができました。
日本と中国は歴史的な背景から難しい関係にありますが、芸術や文化を通してそういった垣根を超えて理解を深めていけるものと信じています。

これからも音楽を通して日本と中国の架け橋になれるよう、努力したいと思います。

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